Jiaotan Official Ware Kiln
郊壇下官窯
郊壇窯 郊壇下窯
一部 入れ替えました。
この窯は高宗亡き後、作られた模様。
南宋初期の修内司窯は、どうやら高宗の御製の窯。汝をしのぶ上品な粉青青磁のほか、さまざまな焼き物がある。
郊壇下は南宋の野性味あふれる青磁。のち竜泉に引き継がれる、透明感のある青磁です。
なるほど、修内司に比べると、かなり、質も劣る感じがする。
Xiuneisi guan ware
修内司 建炎1129 |
Xiuneisi guan ware
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Jiaotan Official Ware Kiln
紹興 |
Longquan Yao (Guan kiln) |
皇太子墓 |
修内司窯 |
郊壇下窯 |
竜泉窯 |
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修内司との比較
南宋の汝 粉青青磁からご覧下さい
紹興1142年
多くの遺骸が戻る。 南宋六稜副葬品と思われる。
土は良く精製されている。
貫入はない。
下、法のために、こういう形になったのですが、高さ、上の広がった皿状の口、盤口ばんこうと言うそうですが、
急いで沢山作ります。多くの遺骸がいっぺんに戻ったわけで、その時の陶工の急いだ様子がわかります。
ですから、姿としては、あまり感心しないものが多い。
修内司 下燕瓶
形が愛らしいので、とても気に入っています。
この香炉も形の良いもので、気に入っています。
少し首が長い。このあたり急いで作る必要があったと推測。
ゆえに、時期としては、遺骸の戻った時と推論する。
地をうまく透かす。汝で申しましたが、宋代の磁器はこれなんです。今世紀、21世紀の大発見です。
ご参考 左 修内司 中と右 郊壇下以降と思われる。 すばらしい型入れの技術から竜泉とは思えない。
ついでに、貫入の見方
縦の山、稜線に綺麗な、すっきりとした、たての割れ。対照的な、横に細かな割れ。(中も表も)
下の様な、綺麗な、対比を見せないものは、買わない方が、賢明です。
郊壇下窯
柚がやや緑色になる。土の精製が悪い。
右 修内司に比べ、やや劣る。
柚はやや緑色が強くなる。
Longquan Kilns
やがて竜泉窯に引き継がれます
下は竜泉窯で焼かれた官品 柚は梅の若い色 ばいしせい(梅子青)と呼ばれます。
竜泉後期の色と従来言われます。土の精製は悪くなります。
相当な数、5,6個、売られていました。丁寧なつくり、柚がきれいです。
貫入磁器が増えます
ご参考 青磁の流れ 唐から北宋まで
左端 か夏均窯 二つ目 中華均窯 中 五代柴窯 四つ目と右端 北宋汝窯
ご参考
韓国 国立博物館National Museum of korea 引用です。
終りに、お願い事も、あります。
郊壇下官窯は寺院宗廟の使用のため、焼かれたとあります。
さすが良く勉強してみえます。ツボを抑えていますね。
百花繚乱
高宗コレクションをお楽しみ下さい
千載不決の議の皿 后を見る コピーは近世になってと思われる 共に吉州窯です
子を失う悲しみ 龍1 龍2のちきぬた
南宋の面白さは初代皇帝 愛妻家高宗につきます 彼は良い右腕(宰相)が幸運にも居ました
高宗の人間的成長を磁器の発展を通してうかがい知れます
これほど国の始めから終わりまで磁器が残るのは何故でしょうか
パパ
徽宗帝の反面教師的教訓 危機管理からでしょうか
強いナショナリズムの台頭 失地回復の思い
同時期に金でも同じ現象が現れさながら南北朝
南宋期は70年余りが金、100年ほど元が支配
やがて龍と鳳凰は中国支配者のシンボルとなります