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法を改めました 2014/06/24
小船と皇帝
清朝雍正帝は、太子時代、良く一人蓮池に小船を浮かべ、物思いにふけったそうです。
いやされない孤独。換えられない身分。太子達は、ひどい競争社会の中にいました。
徽宗帝も現在皆が言うような、浪費家でも、芸術家きどりのあんぽんたんでもなかった。
お金がかからない趣味ばかり。まず書。書家でした。書体もつくる。お金が掛からない。
絵も得意。これもお金が掛からない。北宋は繰り返しますが、王朝ではなかった。
地味で質素。官の気持ち。ですから、北宋では黄ゆうを見ない。官服の赤。きん窯の赤です。
植木鉢と盆栽
有名な焼き物。きん窯では植木鉢を作らせた。有名です。
しかし自分で丹精込めた盆栽を、家臣(いろんな事情で命を落とした人々)に与えた模様で、
これも手間と時間は掛かるが、基本的に莫大な費用は掛からない。孤独が癒せますし。
きんに伝わる伝承に月に3つだけ焼いた植木鉢。3点で一組だったらしい。年に36個
ほとんど真品が残っていないため、確かな事は言えないが、1年に12人の閣僚が、皇帝から下賜された計算。
植木鉢には皇帝の盆栽が入る。ビクター工場長のお話のとうりです。奥さんが毎日鉢の松に水をやっていたそうです。
暗殺
親神宗も兄哲宗も暗殺されたと汝は言います。二人とも皇帝でした。身動きの取れない皇帝。
ひょっとすると、蓮池で物思いに徽宗さんの方が先にふけっていたのかも知れない。
なぜ、蓮の実がつくのか? なぜ小さく粗末な船なのか?
宋という時代、徽宗帝のありし日の姿。しのばれます。
喜事
害のすべて 災至 死絶 病臨 口舌
丁のすべて 登科 財旺 及第 福星
旺に喜事がでる。これも高宗さんらしい。普通出ない。今まであまり見たことがない。
型100万円
これを作るのに青銅器の製法で型で作ります。1つだけ。
焼くとちじみますから、何回も型を直します。法があります。最後は皇帝が気に入らねばなりません。
普通の工人では、とてもつづきません。陶家と呼ぶゆえんです。
当代随一の名工。当然でしょう。